ラグビー日本代表チームに学ぶ多国籍企業のあり方 (海外進出している日系企業に考えてもらいたいこと)

2017年の2月に添付のようなレポートを書いています。そして、今回、ワールドカップ・ラグビー大会で活躍したラグビー日本代表チームのテレビ・インタビューを聞いて、考え方が間違っていなかったと確信し、もう一度、別レポートの『海外進出している日系企業の発想の転換を促すレポート』と合わせて、ラグビー日本代表チームのスクラム・コーチ長谷川慎さんのテレビ・インタビューの内容を紹介しながら、海外進出している日系企業の「過ち」について書いていきたいと思います。 

ここで例に出させて頂くテレビ・インタビューは、スクラムの最前線の3人と彼らを指導してきたスクラム・コーチ長谷川慎さんが、司会者の問い掛けに受け答えをしていたものです。その中で、注目してもらいたいのが、まず、スクラムは8人で組まれるですが、その8人の出身国は6か国にも及ぶものだったそうです。まさに「多国籍」企業です。そして、そのような状況の下、スクラム・コーチの長谷川慎さんは、自分の考えを伝えるため、共通語(英語)を見つけ出し、その共通語(英語)で選手たちを指導したのではないということが、このテレビ・インタビューで分かりました。スクラム・コーチの長谷川慎さん話では、例えば、「間合い」は英語では「Gap」ですが、日本語の「間合い」とは違うと言われていました。その通りだと思います。また、もう一つの例として、「あんばい」と言う言葉を出され、これまた英語の「Ajust」ではないと言われていました。そして、「外国の選手でも間合いは、間合いと教え、言わせている」と話され、その理由として、「日本語でないと大事なところが伝わらなくなるから」と言われていました。ただ、その日本語を分かってもらうために、例えば、「あんばいは、何かを一から教えた」とも話されていました。この話の中に、私が主張したいことが全て凝縮されています。

もうお分かりかも知れませんが、スクラム・コーチの長谷川慎さんは『日本の本社』です。そして、選手たちは『海外の子会社』です。ここで、まず注目してもらいたいのが、スクラム・コーチの長谷川慎さんは自分の考えを皆に理解してもらうために「共通語」を選択せずに、自分の考え(思っていること)が表現されている日本語を使ってコミュニケーションを行ったという点です。今までの日系企業の傾向は、コミュニケーションの大事さは分かっているものの、「共通語」を持つことで、コミュニケーションが上手く行くと勘違いしています。本来ならば、言葉は単なるコミュニケーション・トゥール(道具)なので何語を使うかが重要ではなく、何語なら考えが「正しく」伝わるかで言葉を選ぶ必要があることを、スクラム・コーチの長谷川慎さんは教えてくれています。この点が、まず日系企業の反省点になるべき点だと考えます。

次に注目すべき点は、日本語で『考え』を説明するので、例えば、「あんばいは、何かを一から教えた」と話されていた点です。この点は、とても重要な点ですが、教える側の根気と犠牲も必要になります。

まず、日本語は、言葉を選ぶ言語です。話し手は、言いたい『考え』を的確な言葉を選択し、その言葉を聞き手に示すことで、聞き手に言いたい『考え』を理解してもらうのが、日本語のコミュニケーションの仕方です。日本語の場合、漢字の組み合わせを使って、『考え』のニュアンスまで言葉で表現できるだけでなく、カタカナやひらがなを使っても、『考え』の微妙な点まで伝えることができます。だから、日本語の単語を一から何かを教えることは、相当に難しいことであり、そして同時に犠牲を払わなければできないことです。スクラム・コーチの長谷川慎さんは、敢えて、その難しさと犠牲を選択してまでも、『考え』をしっかり伝えたいことを選んだと言えます。今の日系企業は、そんな難しさや犠牲を払うことは避け、表面的なものだけを追求しているように見受けられます。と言うのも、前述したように、安易に「共通語」に頼ってコミュニケーションの向上を図ろうと間違った選択をし、「一から何かを教える」ことをせずに、「やり方(帳票、様式、プロセス)」のみを押し付けています。悪いことに、それでも一応の成果は上がるので、それが如何に不効率なやり方で、更に、継続できないやり方なのかに気付いていません。このままでは、多分、海外進出している日系企業に明るい未来はないと言わざるを得ません。だからこそ、海外進出している日系企業には、今、発想の転換が必要であり、日本の良さと海外の良さが結合した効率的な経営を目指すべきだと考えます。

「一から何かを教える」と言うことは、企業の判断基準になる『企業文化』を理解させるまで教えるということです。別レポートの『海外進出している日系企業の発想の転換を促すレポート』とで考察しているように、日本(人、社会、会社)との『違い』をしっかり認識した上で、『企業文化』を現地に根付かせる努力と犠牲が、今、海外進出している日系企業、特に、欧州に進出してきている日系企業には必要なことだと確信しています。

添付資料:2017年の2月に書いたレポート
(内容は変えていませんが、今回少し趨修正を加えています。)////////////

2017年2月20日の日本経済新聞デジタルで、「資生堂、英語を公用語に 18年に本社部門で」と言う記事が掲載されてありました。そして、「グローバル化に伴う取り組みの一環で」と言う理由付けがされていました。とても気になったので、このレポートを書くことを思い立ちました。なぜなら、日系企業の危機は、グローバル化の名の下に行われる「英語化」から始まると考えるからです。なぜそう言い切れるのかと言えば、「英語が公用語」となっている大企業の現地採用社員としてスペインで働いているため、「英語が公用語」とすることの恐ろしさを目の当たりに見て来ているからです。

現在私が勤める会社も、いち早く「英語を公用語」としコミュニケーション・トゥールとして採用しています。しかし「英語」を採用することで、本当にコミュニケーションが良くなっているのか、時間短縮ができているのか、と考えると、そうとは言えず、効果を疑問視せざるを得ないところがあると言えます。逆に、「英語」をコミュニケーション・トゥールと定めたために、『欧州』では多くの問題が発生しており、その弊害の方が大きいのではないのだろうかと私には思えて仕方がありません。

まず、「言語(language)」は、コミュニケーション・トゥールであることに間違いありません。しかしコミュニケーション・トゥールとして、「英語」がコミュニケーション向上につながるのとかと言うと、そうとは言えない事情があります。その事情とは、「英語」が母国語の民族にとっては好都合であっても、「英語」を母国語としない民族にとって、「英語」で物事を説明することは相当難しく、その難しさゆえに、「説明」を省いてしまう傾向があると言うことです。もしかして物事の説明不足は、企業にとって事業を展開して行く上で、比較的大きな問題ではないのかも知れません。しかし、もしその省かれてしまうものが不満、不平だったとしたら、ガス抜きの無い「不満、不平が言えない組織」となり、まさにコミュニケーションが欠如している企業になり、コミュニケーション・トゥールがトゥール(道具)として機能していないことになります。

実は、ガス抜きの無い「不満、不平が言えない組織」と言う「英語」を上手く操れないサイド(民族)からの問題だけでなく、「英語」しか話せない民族が勝手に日本の企業の考えを自分流儀に理解し、日本企業の考え方ではなく、「英語」の企業の考え方を他に押し付ける結果にもなっていると言う問題も同時に存在するのです。

ここで少し視点を変えて話を進めると、UKやUSAの企業が「英語」をコミュニケーション・トゥールとして世界展開することと、日本企業が「英語」をコミュニケーション・トゥールとして世界展開することとでは、天と地の差があることに気付いている日本企業が幾らあるのだろうか、と疑問に思うことがあります。UKやUSAの企業では、「英語」を媒体として企業文化が形成されています。しかし、日本企業の企業文化は「日本語」を媒体として企業文化が形成されているため、「日本語」を下手に「英語」に置き換えると、日本企業の企業文化は消滅してしまうことになります。この点について真剣に考える必要があるのではないでしょうか。日本企業が成長してきたのは、その企業文化のお陰のはずなのに、その企業文化を捨てようとするのが、「英語」を公用語にすることであると言っても過言ではないと考えます。極端な言い方をすれば、「英語」を公用語にすることで日本の企業は、自らの企業文化を失い、UKやUSAの企業の「まがい物(模造品)」になるリスクを高めているのです。だから、日本の企業が、「英語」を公用語と宣言するのは非常に危険であると言えます。

考えなければならないのは、例えば、あるUKないしはUSAの企業が、彼らの関連子会社をスペイン語圏にたくさん持っている場合でも、例え「グローバル化」だからと言って、「スペイン語」を公用語にするのかと言う点です。明らかに、しないはずです。英語を公用語として維持すると言い切れます。では、なぜ日本の企業は「英語」を公用語にしたがるのでしょうか。それは、「英語」が「商売」に便利と日本人が勘違いしているからです。商売に便利なのは、あくまで現地で話されている言葉で、公用語は考え方や企業文化を伝える重要な「コミュニケーション・トゥール」なので、「商売に便利」と言う次元での判断では済まされないものです。日本の企業は、そのことを正しく理解していません。だから日本の企業は、海外進出、グローバル化で失敗を重ねてきているのではないのでしょうか。つまり、考え方や企業文化が伝わってないから、失敗してきていると言えるのでは、ないでしょうか。

そこで言えるのは、まず日本の企業は、「日本語」を公用語にすることを恐れてはいけないと言うことです。「英語」が商売に便利というのは、『会社運営の段階』では理由にならないものです。まして、「英語」しか話せない民族を含めて「英語」を公用語としてしまった場合、日本企業の考え方は理解されることはなく、真の純粋な「英語」で解釈され、「英語」の企業の考え方に置き換えられてしまいます。だから、例えば、何十年も欧州に進出している中で、英語を母国語としない欧州の国々の人に比べて、UKの人が日本の企業文化に染まってくれていないと違和感を持ったことがあるのではないでしょうか。そんな現場(現実)を私はたくさん見てきています。

コミュニケーションを重視する日本の企業にとって「グローバル化」は、コミュニケーションとの戦いだと言えます。そのため、変に誤解をして、「英語」を公用語としてコミュニケーションを図ろうと努力しているのが、日本の企業の姿です。しかし『コミュニケーションとは(何か)』と言う根本的な考察が省かれ、世界で一番ビジネスに使われているから「英語」を公用語にしようと決断するのは、明らかに間違いです。まず『コミュニケーションとは(何か)』を、考えてみなければなりません。そのためには、「言葉」と「概念」と言う区分に触れる必要があります。つまり、『コミュニケーション』とは、「概念」を伝えることであり、「言葉」を伝えることではないと言うことです。「概念」は、「言葉」、「絵」、「ゼスチャー」、「表情」等の道具を使って初めて形あるものになるため、それらの道具無しには「概念」を伝えることはできません。だから「言葉」に頼って「概念」伝えようとするのです。従って、「概念」と「言葉」の順序は、「概念」を伝えるために道具として「言葉」があると言う位置関係です。

話を元に戻し、日本の企業が「英語」を公用語とするのが、なぜリスクにつながるのかを、上述の「概念」と「言葉」の位置関係から説明すると、ひとつの「概念」を異なる「言葉」で表現することが「日本語」と「英語」の間では非常に難しいためだからです。例えば、「英語」と「スペイン語」は、同じ「言語」から派生しています。そのため、比較的に「概念」と「言葉」が「対(ペアー)」で置き換えることができます。つまり、「英語」のある単語が「スペイン語」のある単語に翻訳された場合、得てして「概念」は全く同じものであることが多いと言うことです。従って、「英語」を「スペイン語」に翻訳しても、意味は歪曲されること全くなく伝わるのです。それは、言葉の語源が同じところにあるからといって良いでしょう。しかし、「英語」と「日本語」の間にはそのような関係は存在しません。「英語」のある単語を「日本語」のある単語に翻訳した場合、全く同一の「概念」が理解されるとは言えません。それは、言葉の語源が同じではないからであり、そのため翻訳によって最も近い「概念」が伝えられるかも知れませんが、「英語」と「スペイン語」との間のように全く同じではないからです。従って、「英語」を公用語にしようと頑張れば頑張るほど、日本の企業は自らの企業文化を放棄している結果となります。

少し話が横道にそれているように思われるかも知れませんが、上述の考え方の立証として次の例を考えてもらえれば、理解してもらえると考えます。スペイン人の知人から「日本も欧米化が進んでいるじゃないか」と言われた時、「表面的にはね」といつも答えています。そして、「日本人が日本語を使うのを放棄しない限り、完全な欧米化は決して起こらず、日本的な欧米化に止まり、日本人は日本人のままでい続けるよ」と答えています。その理由は、上述に説明してきた「英語」と「日本語」が表す「概念」が同一ではないために、日本の欧米化が、「日本的な」欧米化に止まるからです。

「英語」を公用語にすべきではないと主張する理由は、日本の企業文化の消滅につながると確信するからです。「英語」でなくとも「概念」が伝えることができれば、『コミュニケーション』は成立すると言えるはずです。逆に「英語」で「概念」が伝えられないのならば、「英語」を捨てるべきです。

ですから、『日本語を使うことを恐れてはいけない』と叫びたいのです。日本企業は、日本語をもっと大事にするべきです。

それでは、どのようにコミュニケーションすべきなのかと言うと、難しいと分かっていても「日本語」を捨てずに、コミュニケーションを図ることです。どう言う事かというと、「通訳専門家」の力を借りるとか、『通訳専門家』を育成すると言うことです。そして現地スタッフに、日本語によって形成された考え方をわかってもらうようにすることが大事なのです。特に現地のトップクラスに対してです。現地のトップクラスは、学歴のある頭の良い人のはずです。従って、彼らに日本語によって形成された考え方を分かるようになってもらうことが、日本の企業文化を現地に根付かせる本当の手段ではないのかと考えます。困難、いや不可能に近いと反発を受けるかも知れませんが、日本語が話せるとか、読めるようになれ、と言っているのではなく、日本語の概念が理解できるよう教えるということです。//////////////

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